1細胞マルチオームの実験と得られるデータ形式

1細胞マルチオーム法

細胞遺伝子発現トランスクリプトーム)だけでなく、その制御要素である染色体のオープン状態(ATAC-seq)にもとづいて理解する必要があります。

10X GenomicsのChromium Next GEM Single Cell Multiome ATAC + Gene Expression kitは、1細胞から同時にRNAクロマチンアクセシビリティを解析することが可能な画期的なキットです。

本記事では上記キットを用いた1細胞マルチオームの実験原理と手順を説明します。

実験手順の概要

1. scATAC-seq用の前処理

2. ライブラリ調製

  • アダプター配列付きオープンクロマチンの断片を含む1つに対して1つのGEMを作成。このステップで1細胞毎に分ける。
  • 内のmRNAをGEMに含まれるオリゴ(dT)プライマーで捕捉し、逆転写反応でcDNAを合成。このステップで細胞識別用のバーコードを付加する。
  • ATACでの前処理で得られたアダプター配列付き断片に対してもPCRを利用して細胞識別用のバーコードを付加。
  • 上記のcDNAとATAC断片由来に付加するバーコードは同じ由来であれば同一。これによりトランスクリプトームオープンクロマチンの情報が同じ細胞由来として結びつけられる。
  • PCRを通してNGSによるシーケンスに必要なP5、P7などの配列を付加したライブラリを調製する。

3. シーケンスとデータ解析

  • mRNA由来のライブラリとATAC用のライブラリそれぞれについてNGSによるシーケンスを実施。
  • CellRanger ARCによってNGS由来のfastqデータがMatrix(行が細胞で列が遺伝子またはゲノム領域であるイメージ)に変換される。
  • 研究者が実施するバイオインフォマティクスの処理はMatrixデータを起点に実施していくのが通常のワークフロー。

実験手順の詳細


Step 1: 核の単離(Nuclei Isolation)

原理

本キットでは細胞膜を選択的に破壊し、を損傷なく回収することが重要です。RNAクロマチン情報を同時に取得するため、RNAの分解を抑えつつ、クロマチン構造を保持する条件でを単離します。

手順

  1. 細胞をPBSで洗浄し、遠心(300–500 g, 5分)。
  2. 氷冷の抽出バッファ(Nuclei Isolation Buffer)に再懸濁し、数分間インキュベーション。
  3. Triton X-100 や NP-40を含む洗浄バッファで細胞膜を溶解。
  4. 70 µmフィルターで濾過し、を精製。
  5. 顕微鏡での形態・破損率を確認。
  6. 数を計測し、最終濃度は 300–1200 nuclei/µL に調整。

Step 2: Tn5トランスポジション(Chromatin Accessibility Tagging)

原理

Tn5トランスポザーゼが開いたクロマチン領域(オープンクロマチン)に結合し、DNAを切断しながらアダプター配列を挿入します(tagmentation)。

手順

  1. 単離したにTn5 transposase mixを添加。
  2. 37℃で5分間インキュベート(キット推奨条件)。
  3. 反応を氷上で停止し、次のGEMステップへ進行。

Step 3: GEM生成(Gel Bead-in Emulsion)

原理

GEM(Gel Beads-in-Emulsion)は1細胞(または)あたり1つのゲルビーズと反応液を閉じ込めた油中水滴で構成されます。ビーズにはRNA用およびATAC用のバーコード化オリゴが付与されています。

  • RNA: 5′ – P7 – 10X Barcode – UMI – poly(dT) – 3′
  • ATAC: 5′ – P5 – Tn5 adaptor – 10X Barcode – 3′

手順

  1. +トランスポジション済DNAを10Xランチャーにロード。
  2. Chromium Next GEMチップに試薬類と一緒にセット。
  3. クロマチックエンカプセル化により、GEMが自動的に形成。
  4. 各GEM内では:
    • RNAがバーコードオリゴ(dT)に捕捉
    • 同時に、ATAC断片とバーコードが結合

Step 4: 逆転写反応とバーコード付与(Reverse Transcription and Barcoding)

原理

GEM内でmRNA逆転写され、cDNAが10X固有のバーコード(+UMI)とともに合成されます。これにより、後工程で細胞由来の識別が可能になります。

手順

  1. GEMを42℃で逆転写反応(RT)インキュベート(~2時間)。
  2. エマルジョンをブレークし、バルクcDNAを精製(silica columnなど使用)。
  3. cDNAはATACライブラリと分離されて保持。

Step 5: PCR増幅(Library Amplification)

原理

RNA由来cDNAとATAC断片は、それぞれバーコード情報を保持した状態でPCR増幅されます。

手順

RNA部位:

  1. SPRI beadsで精製後、cDNAを一次PCRにより増幅(14–16サイクル程度)。
  2. 二次反応でP5/P7アダプターを付加して完成。

ATAC部位:

  1. Tagmentation済DNAをSPRIで精製。
  2. PCRで増幅し、同様にP5/P7アダプターを付加。

Step 6: ライブラリ精製・QC(Quality Control)

原理

サイズ選別や不純物除去を行うことで、**正しいサイズレンジ(RNA: ~400 bp、ATAC: ~300–600 bp)**のライブラリを取得します。

手順

  1. AMPure XP beadsでライブラリサイズ選別。
  2. Agilent BioanalyzerやTapeStationでライブラリのサイズ・濃度評価。
  3. qPCRでライブラリ定量(KAPA kit推奨)。

Step 7: シーケンス(Illumina platform)

原理

RNAおよびATACそれぞれのライブラリは独立にシーケンスされ、同一バーコードを使って解析上で統合されます。

推奨条件

RNA-seqライブラリ

  • Paired-end 28 bp (R1) + 90 bp (R2)
  • R1: cell barcode + UMI
  • R2: transcript

ATAC-seqライブラリ

  • Paired-end 50 bp (R1/R2)

Step 8: データ解析(Cell Ranger ARC)

原理

Cell Ranger ARCを用いて、RNAとATACデータをそれぞれマッピング・フィルタリング・細胞の同定を行います。さらに、同一細胞RNAクロマチンの統合解析が可能です。

主な出力

  • filtered_feature_bc_matrix (トランスクリプトーム)
    • barcodes.tsv.gz (細胞毎に付与されたバーコード一覧)
    • features.tsv.gz (遺伝子名一覧)
    • matrix.mtx.gz (リードカウント数の行列データ(実際は「行数、列数、カウント数」からなる圧縮された形式))
  • filtered_feature_bc_matrix.h5
  • atac_fragments.tsv.gz
  • peak_annotation.tsv
  • gene_activity_matrix

次の記事

次の記事ではscnapyを用いたscRNA-Seqデータの前処理について説明します。

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