逆転写(reverse transcription)とは、リボ核酸(RNA)がデオキシリボ核酸(DNA)に変換される過程のことを指します。これは、特にレトロウイルスや逆転写酵母などの生物で見られる生物学的現象で、逆転写酵素という特殊な酵素の活性により進行します。逆転写という名前は、通常、DNAからRNAへの情報伝達(転写)の流れを反転させるという意味から来ています。
逆転写の反応
逆転写は、以下のようなプロセスで進行します。
まず、RNAをテンプレートとして、逆転写酵素がDNA鎖を合成します。このDNA鎖は、RNA鎖と相補的な配列を有しています。
その後、RNA鎖は分解され、そのDNA鎖に対して新たに相補的なDNA鎖が合成されます。これにより、二重らせん構造のDNAが形成されます。
逆転写の実験手順と解析手順
逆転写を利用した実験手順は大きく分けて以下のような流れとなります。最初にRNAを抽出し、次に逆転写酵素を用いてcDNA(DNAと相補的なストランドを持つDNA)を合成します。最終的には、このcDNAを用いてPCRなどを行い、遺伝子の発現パターンを分析します。
- 1. RNAの抽出: RNAは細胞質中から特定の溶媒を用いて抽出します。
- 2. cDNAの合成: 抽出したRNAをテンプレートとして、逆転写酵素を用いてcDNAを合成します。
- 3. PCRによる増幅: cDNAをテンプレートとして、特定の遺伝子領域を増幅します。
- 4. 分析: PCR産物を電気泳動や次世代シーケンシング等を用いて解析します。
この一連の流れにより、どの遺伝子がどの程度発現しているか、つまり遺伝子の発現パターンを解析することができます。
逆転写の特徴と具体例
逆転写の最も特筆すべき特徴は、通常のDNAからRNAへの情報伝達(転写)を反転させるという点です。逆転写を行うことで、RNAから情報を読み取り、それをDNAとして保持することができます。これは、遺伝子の発現パターンを解析したり、RNAウイルスのゲノムを調査したりする際に特に有用です。
逆転写の具体的な例としては、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)が挙げられます。HIVはRNAウイルスであり、その生活環において、ウイルスのRNAゲノムを逆転写酵素を用いて宿主細胞のDNAに組み込むステップがあります。この逆転写により、ウイルスのゲノムは宿主細胞のゲノムに永続的に組み込まれ、ウイルスが宿主細胞を操作して繁殖することが可能となります。
逆転写とセントラルドグマ
「セントラルドグマ」とは、遺伝情報の流れが一方向である(DNA→RNA→タンパク質)という原則を指す用語で、フランシス・クリックによって提唱されました。つまり、遺伝情報はDNAからRNAへ、そしてRNAからタンパク質へと伝達されるという流れが基本であるという考え方です。
しかし、逆転写はこのセントラルドグマを覆す現象と言えます。なぜなら、逆転写によりRNAからDNAへと情報が流れるからです。このことから、逆転写は生物学において重要な例外現象となります。
逆転写の問題点と課題
逆転写は、ウイルスによる感染症の発生や進行に深く関与しているため、大きな問題点ともいえます。特に、HIVやHTLV(ヒトTリンパトロフィックウイルス)のようなレトロウイルスは逆転写を介して宿主細胞のゲノムに自身のゲノムを組み込みます。この結果、ウイルスの増殖と感染の拡大が進行します。
これに対する対策として、逆転写酵素を阻害する薬物が開発されています。HIV治療薬の多くは、逆転写酵素を阻害し、ウイルスゲノムのDNAへの変換を阻止することで、ウイルスの増殖を抑える効果を持ちます。
しかし、課題としては、これらの薬物はウイルスが持つドラッグレジスタンス(薬物耐性)により効果が減少することがある点が挙げられます。新たな逆転写酵素阻害薬の開発や、より効果的な治療戦略の開発が求められています。
逆転写の応用
逆転写は、生物学的研究や医学的応用の分野で広く利用されています。その一例として、遺伝子発現解析があります。逆転写-PCR(RT-PCR)は、細胞中の特定のmRNAの量を測定するための一般的な手法です。mRNAの量は、その遺伝子の発現レベルを反映しているため、この手法により、特定の条件下での遺伝子の発現パターンを解析することができます。
また、逆転写はクローニング技術や次世代シーケンシングへの応用もあります。これらの技術は、遺伝子の機能解析や遺伝病の診断、個体の遺伝的多様性の解析など、多岐にわたる生物学的研究に貢献しています。
参考書籍
バイオ実験基本セット
- これからはじめる人のためのバイオ実験基本ガイド (KS生命科学専門書)
- イラストでみる超基本バイオ実験ノート―ぜひ覚えておきたい分子生物学実験の準備と基本操作 (無敵のバイオテクニカルシリーズ)
- 改訂 バイオ試薬調製ポケットマニュアル〜欲しい試薬がすぐにつくれる基本操作と注意・ポイント
- バイオ実験法&必須データポケットマニュアル―ラボですぐに使える基本操作といつでも役立つ重要データ
- バイオ実験超基本Q&A―意外に知らない、いまさら聞けない
バイオ実験イラストレイテッド
- バイオ実験イラストレイテッド〈1〉分子生物学実験の基礎 (細胞工学別冊 目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド②
- バイオ実験イラストレイテッド〈3+〉本当にふえるPCR (目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド④
- バイオ実験イラストレイテッド〈5〉タンパクなんてこわくない (目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド⑥
- バイオ実験イラストレイテッド⑦
コメント