エピジェネティクスあるいはエピゲノムは、遺伝子の配列そのものは変わらずに遺伝子の働きが変わる現象、またはそのメカニズム、またはそれらを研究する分野の名称を指します。DNAメチル化やヒストン修飾、RNA分子や転写因子の働きによって制御される遺伝子領域の開閉(オープンクロマチン等という)などが代表的なエピジェネティクスの機序です。
原理
エピジェネティクスの中心的な原理は、DNAの化学的修飾やその周辺のタンパク質の修飾によって遺伝子の発現が調節されることです。主なエピジェネティックなメカニズムとして、以下の4つが挙げられます。
- 1. DNAメチル化:ゲノムDNA配列中のプロモーター領域内のシトシン塩基がメチル化されて5-メチルシトシンになる現象。これにより下流の遺伝子の発現が抑制されます。
- 2. ヒストン修飾:ヒストンというゲノムDNAが巻きついているタンパク質が化学的に修飾されることで遺伝子の発現が調節されます。修飾の種類にはアセチル化、メチル化、ユビキチン化等があり、これら修飾の種類とそのヒストンにおける場所によって遺伝子の発現が抑制されたり促進されたりします。
- 3. 非コードRNA:遺伝子が転写されてできるRNAのうち、タンパク質にならないRNA(非コードRNA)による調節があります。特に小さな非コードRNAであるmicroRNAは遺伝子の発現を抑制します。
- 4. (パイオニア)転写因子:転写因子にはプロモーター領域以外に結合するもの多く存在し、それらがエンハンサーやサイレンサー等に結合をして遺伝子周辺のゲノム領域を開け閉めして転写活性を調節します。中でもパイオニア転写因子は立体的に込み入ったゲノム領域へも結合してオープンクロマチンを形成し、その他の転写因子の結合に先立って働きます。
これら4つのメカニズムは、多様で複雑な遺伝子調節や発育のステップを制御します。
関連する実験
配列そのものは変化しないので、遺伝子の発現を調節する要因となるDNAメチル化、ヒストン修飾、あるいは、オープンクロマチンの分布を解析します。
具体的には、ChIP-seq(クロマチン免疫沈降解析)で修飾ヒストン修飾のゲノム上における位置、Bisulfite-seqやRRBSでDNAメチル化の位置、ATAC-Seqでオープンクロマチンの位置を調べます。
具体例
エピジェネティクスが示される例として、以下のような事例が挙げられます。
- 1. 完全に同じ遺伝情報を持つ一卵性双生児であっても、外見や病気の罹患状況などが異なることがあります。これはエピジェネティクスによって遺伝子の発現が調節され、同じ遺伝情報であっても形質の発現が異なるためです。
- 2. ストレスや飢餓などの環境ストレスはエピジェネティクスによる遺伝子発現の変化を引き起こし、それが行動や疾患の発症に影響を及ぼすことが知られています。
歴史と経緯
エピジェネティクスの概念は1940年代にイギリスの発生生物学者、C.H.ワジャディングトンによって初めて提唱されました。「エピジェンシス」という古典的な語を借りて「エピジェネティクス」という新たな語を作り出し、遺伝的な情報によって細胞の分化や発生がどのように制御されるのかを説明しました。
しかし、彼が提唱した時点ではまだ具体的なエピジェネティクスのメカニズムは明らかにされていませんでした。それが具体的に解明されるようになったのは1970年代以降、DNAメチル化やヒストン修飾が遺伝子の発現制御に関与することが次々と明らかにされてからです。
また2000年代に入るとヒストン修飾の種類と役割、非コードRNAの存在とその役割が明らかにされ、エピジェネティクスが「ゲノム配列の変化を伴わない形質の変化を指す学問領域」として確立されました。
応用
エピジェネティクスの理解が進むことで、有望な応用分野が多数浮かび上がってきました。発生学、生理学、医学など幅広い分野でその可能性が探索されています。
特に医学分野における応用として注目されるのが、新たな治療方法の開発です。エピジェネティクスの異常が様々な疾患に関連していることがわかりつつあります。がん、神経変性疾患、心血管疾患、自己免疫疾患などの疾患において、エピジェネティクスの制御異常が発症や進行に影響を及ぼしていることが報告されています。
これらの疾患に対する新たな治療方法として、エピジェネティックな制御を正常化する方法が研究されています。例えば、エピジェネティクスの異常が関与すると考えられる疾患に対して、エピジェネティクスを修正する薬剤の開発が進められています。
また、疾患の早期診断や予後予測、個別化医療への応用も期待されています。例えば、がん細胞だけに特異的なエピジェネティックな変化を検出することで、早期診断や疾患進行の予測、最適な治療法の選択に役立てることが可能になるかもしれません。
エピジェネティクスの研究はまだ発展途上の段階にありますが、今後の研究の進展により、より具体的な応用が待たれています。
参考書籍
バイオ実験基本セット
- これからはじめる人のためのバイオ実験基本ガイド (KS生命科学専門書)
- イラストでみる超基本バイオ実験ノート―ぜひ覚えておきたい分子生物学実験の準備と基本操作 (無敵のバイオテクニカルシリーズ)
- 改訂 バイオ試薬調製ポケットマニュアル〜欲しい試薬がすぐにつくれる基本操作と注意・ポイント
- バイオ実験法&必須データポケットマニュアル―ラボですぐに使える基本操作といつでも役立つ重要データ
- バイオ実験超基本Q&A―意外に知らない、いまさら聞けない
バイオ実験イラストレイテッド
- バイオ実験イラストレイテッド〈1〉分子生物学実験の基礎 (細胞工学別冊 目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド②
- バイオ実験イラストレイテッド〈3+〉本当にふえるPCR (目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド④
- バイオ実験イラストレイテッド〈5〉タンパクなんてこわくない (目で見る実験ノートシリーズ)
- バイオ実験イラストレイテッド⑥
- バイオ実験イラストレイテッド⑦
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